!第十二回 王朝的斜阳(12-3)
ルコ系の混血であった安禄山は、六种类もの言语をCり、国家间の交易で手腕を発挥した。そのうちに认められて平庐という地の节度使辺境の守备队司令官となった。 李林甫の引き立てであったので、安禄山は玄宗と杨贵妃に谒见を许された。安禄山はもの凄い肥満Tで、また话术に长けていたので、玄宗の目を引いた。 「お前のその腹には何が诘まっているのだ」 と玄宗が问うと、 「ただ陛下への忠诚のみでございます」 と答え、大いに玄宗を喜ばせた。 玄宗は杨贵妃の机嫌を取るために、彼nVの亲戚縁者を取り立てて贵族扱いした。その中でも、杨贵妃のいとこにあたる杨钊という者は出世头となり、玄宗から「国忠」という栄誉ある名をもらった。 天宝十一载七五二年に李林甫が逝去すると、彼の後釜として杨国忠が宰相の座に就いた。杨国忠も李林甫と同じで、力のある者を蹴落として自分の保身に努める一方、多くの役职を兼任して権势をほしいままにする。他の朝臣や国民の怨嗟は、日に日に募って行くばかりであった。しかし玄宗は、もう政治は面倒とばかりに、何事も要领よくこなす杨国忠にすべてを任せ、杨贵妃と共に游ぶだけの毎日になっていた。